徳山市遊郭の現地記録写真

山口 / 徳山市 新地

徳山市遊郭

歴史資料・現地写真アーカイブ

近世は毛利氏の城下町で、明治時代に入ってから瀬戸内海沿岸に海軍煉炭製造所(後の海軍燃料廠)が設けられたことで、工業都市として栄えた。しかし、その海軍施設があったのが理由で、太平洋戦争時には2度の激しい空襲を受けている。したがって、徳山市街には基本的に古い建物はなく、純度の高い戦後復興の町並みが見られる。駅前から北へのびる御幸通りは、両側に側道を備え四列の街路樹が整備された戦災復興都市計画によるもので、この通りの東側が銀座、西側が有楽町という町名となっており、東京の地名にあやかった都市計画がなされた。ピアモール銀座(徳山銀座商店街)は旧山陽道にあたる通り。かつては近鉄百貨店もあったが、今では寂れた感が強い。その北にある銀南街は、昭和28年に木造3階建の商店街として発足し、昭和40年に銀南街防災建築街区造成事業により、鉄筋コンクリート6階地下3階の近代的な建物に生まれ変わった。東西に隣接する商店街にもアーケードをかけて接続し、長さ300mの2層のアーケード街が形成されている。 旧山陽道にあたる駅前商店街。向こうに見える大きな建物は旧近鉄百貨店。

所在地
山口
写真記録
16点
撮影期間
2016-07-16
資料状態
最盛期統計あり / 平成

写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」

歴史順の記録

近世-近代

遊里・遊廓としての形成

徳山市遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里遊廓として記録された場所です。

最盛期

最盛期の統計

貸座敷 20軒
娼妓数 100人

数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。

戦後-現在

街区と建築の変化

戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。

古今写真

16点を撮影・記録日順に表示

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2016-07-16 原資料
2016-07-16 原資料
2016-07-16 原資料
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2016-07-16 原資料
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2016-07-16 原資料
2016-07-16 原資料
2016-07-16 原資料

利用上の注意

本ページは公益的な歴史研究・地域史記録として作成しています。現代の性風俗営業の所在地案内、広告、勧誘、予約、紹介、連絡仲介には使用できません。 現地を訪れる場合も、私有地・居住者・営業者・地域住民の安全とプライバシーを尊重してください。

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