遊里・遊廓としての形成
萩町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
山口 / 萩町
歴史資料・現地写真アーカイブ
阿武川河口部の松本川・橋本川がつくる三角州に萩の市街地は形成されている。関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が広島から移り、指月山麓に萩城(別名指月城)を築城し、城下町の整備が始まった。1600年(慶長5年)から200年間防府・長門2国36万石の城下町として繁栄。1863年(文久3年)山口を藩の根拠地と定めたため、地方中心の位置づけではなくなった。 浜崎地区は、萩城下の港町。萩半の領地を治める勘場である「浜崎宰判」が町並みの中央川沿いに置かれ、藩の沿岸部に点在する七つの浦と萩沖の六つの島を治める萩藩の海の一大拠点であった。川沿いには城下町に荷揚げされる物資や近隣の漁村から水揚げされる魚などを扱う港が設けられ、これらを扱う廻船問屋や魚問屋が軒を連ね賑わった。そして、近代になり商船の定期航路が置かれ、萩の物流拠点となる。大正期に鉄道が敷かれ、徐々に機能を失うが、水揚げされる魚を加工した干物や蒲鉾などの水産加工業が発展し、現在に受け継がれている。
写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」
萩町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。
戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。
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