遊里・遊廓としての形成
足尾町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
栃木 / 足尾町
歴史資料・現地写真アーカイブ
足尾は小坂(秋田県)、別子(愛媛県)、日立(茨城県)とともに日本四大銅山に一つ。銅山は、1610年(慶長15年)に発見され、江戸時代は幕府直轄領であった。1877年(明治10年)以後は古河鉱業が経営していたが、1973年(昭和48年)閉山、360余年の歴史を閉じた。渡良瀬川段丘上に鉱山集落を形成し、本山、小滝、通洞の3抗を中心に銅・亜鉛・硫化鉄を産出した。開発以来、製錬所の排水・亜硫酸ガスが広範囲に被害を与え、日本の公害の原点と称された。 明治期に銅山の再開発が始まると、渡良瀬川上流奥の赤倉・間藤には各地から人が集まり、短期間に商店街が形成された。赤倉は、明治40年には約140軒の店が軒を連ねるまで成長したが、同年の大暴動事件により銅山機能は本山から通洞に移動し、それにともない中心地も移動した。大正5年(1916年)には足尾町の人口は4万人弱となり最盛期を迎えるが、以後徐々に衰退し昭和48年に閉山、赤倉は現在は200人弱の小集落となった。
写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」
足尾町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。
戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。
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