三条町遊郭の現地記録写真

新潟 / 三条町 本寺小路

三条町遊郭

歴史資料・現地写真アーカイブ

新潟県三条市は、中越地方の商工業都市である。鎌倉時代初期に越中守護三条左衛門定明の居城であったことに由来すると言われる。古来より信濃川の河川交通の河港で、北陸街道の宿場町・市場町であった。享保年間(1716~1736年)頃から金物鍛冶が始まり、泉州堺、播州三木とならんで日本三大金物町とうたわれる。信濃川の対岸に位置する燕市も金物の町だったが、戦後は洋食器製造に転向した商工業都市。両市は互いにライバルで、上越新幹線の駅は両市の名を並べた燕三条駅、北陸道のインターは三条燕インターというのも面白い。 本町は三条市の旧市街で、商店街の北側一帯は「本寺小路」という新潟にも負けず劣らずの歓楽街である。三条御坊と称された本願寺東別院は元録16年(1703年)に完成し、その門前町である本寺小路もこの時に造られた。文政3年(1820年)の記録によれば、「本寺小路両側旅籠にて、豆腐、生麩、饂飩、料理、茶屋、貸し座敷これあり、芸者、踊り子、舞妓、遊女これあり。」とあり、当時から一大歓楽街であったことが窺える。時代は下って、戦後赤線時代の昭和33年に発行された「よるの女性街・全国案内版」によれば、「名にしおう美人の名所。長岡も焼けて風情がなくなったし、小千谷も市政がしかれ鄙びた味に乏しくなってきたのでこの周辺では三条が光ってきた。赤線は本寺小路にあり、約50軒175名いる。」と記されている。

所在地
新潟
写真記録
11点
撮影期間
2009-01-24
資料状態
最盛期統計あり / 平成

写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」

歴史順の記録

近世-近代

遊里・遊廓としての形成

三条町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里遊廓として記録された場所です。

最盛期

最盛期の統計

貸座敷 44軒
娼妓数 60人

数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。

戦後-現在

街区と建築の変化

戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。

古今写真

11点を撮影・記録日順に表示

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2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料
2009-01-24 原資料

利用上の注意

本ページは公益的な歴史研究・地域史記録として作成しています。現代の性風俗営業の所在地案内、広告、勧誘、予約、紹介、連絡仲介には使用できません。 現地を訪れる場合も、私有地・居住者・営業者・地域住民の安全とプライバシーを尊重してください。

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