遊里・遊廓としての形成
藤沢町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
神奈川 / 藤沢町 辰巳町
歴史資料・現地写真アーカイブ
藤沢は旧東海道藤沢宿から発展した街。藤沢宿は、慶長6年(1601年)東海道五十三次の宿場として誕生した。天保14年(1843年)頃の記録によれば、宿場の人数は4089人、家数919軒、本陣1、脇本陣は大久保坂戸に各1軒、問屋場2軒、旅籠は大鋸橋(現遊行寺橋)付近に45軒あったという。藤沢宿は、主要街道(東海道、鎌倉道、大山道、江の島道)の分岐点として通行する人々でにぎわい、特に大山詣、江ノ島詣の旅人の宿泊、遊興の場所として賑わった。明治になって地の利を生かした問屋業を中心に発展、また農作物の集散場として肥料販売業や農作物を買い入れる米穀肥料商が居を構え流通地として栄えた。大正12年の関東大震災や戦災、自然災害、大火があったが、当時の面影を残す土蔵や町家が点在している。 一方、東海道藤沢駅は、汽車を既成市街地から遠ざけようとしたため旧市街である本町からかなり離れた位置にある。現在の商業地は駅周辺であり、旧市街との間の商店街はさほど発達していない。その一つである銀座通りの裏には、かなりディープな様相を呈した夜の飲食店街が形成されており、現在次々とマンションへの再開発が進行している。ディープな街は1,2年で消える勢いだ。
写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」
藤沢町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。
戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。
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