岩内薄田遊郭の現地記録写真

北海道 / 岩内町 薄田

岩内薄田遊郭

歴史資料・現地写真アーカイブ

後志支庁岩内郡西部にある港町。江戸中期ごろから漁業の一中心として、和船の往来が盛んであった。明治期以降もニシン漁が盛んで、大正期には絶頂に達した。しかし、港は湾入りが浅く広く海に開いていて、西の卓越風による波浪と北からの漂砂による堆積に悩まされていたため、堤防が整備された。ニシン漁場の移動で衰退した後は、スケトウダラの水揚、アスパラガスの缶詰生産に転向した。 昭和29年9月26日、洞爺丸台風の同日に発生した岩内大火は、町の約7割を焼き尽くし、多くの家が失われた。現在見る町並みは。この大火後のものである。家々のスタイルは看板建築で、北海道の他の地域との視覚的な差は特に感じられない。看板建築は隣地からの延焼を妨げる造りであるから採用されたのであろう。目抜きの銀座通りは幅が広く、街路樹や花が植えられていた。

所在地
北海道
写真記録
14点
撮影期間
2017-08-16
資料状態
最盛期統計あり / 平成

写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」

歴史順の記録

近世-近代

遊里・遊廓としての形成

岩内薄田遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里遊廓として記録された場所です。

最盛期

最盛期の統計

貸座敷 3軒
娼妓数 13人

数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。

戦後-現在

街区と建築の変化

戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。

古今写真

14点を撮影・記録日順に表示

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2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
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2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料
2017-08-16 原資料

利用上の注意

本ページは公益的な歴史研究・地域史記録として作成しています。現代の性風俗営業の所在地案内、広告、勧誘、予約、紹介、連絡仲介には使用できません。 現地を訪れる場合も、私有地・居住者・営業者・地域住民の安全とプライバシーを尊重してください。

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