遊里・遊廓としての形成
福山市新町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
広島 / 福山市 新町
歴史資料・現地写真アーカイブ
福山は、芦田川河口に発達した福山藩の城下町。1619年(元和5年)水野勝成が野上に築城し、福山城(葦陽城:いよう)と称した。1630年(寛永3年)以降、阿部氏11万石の城下として発展した。河口に広い新田を開いて現在の基礎を築いた。近代以降は大規模な製鉄所の立地を契機に臨海工業都市として発展した。 福山の市街地は、駅の北口直ぐにある福山城の城下町を基盤として形成されているが、第二次世界大戦時の戦禍でほぼ全域が焼失しており、城下町の町割りに戦災復興都市計画が重なった形で、現在の町割りができている。戦前は市街地の真ん中に城の濠へとつづいていた運河があったが、戦後の瓦礫によって埋め立てられ、現在の船町ができた。船町商店街と両サイドの町割りが、城下町の町割りに対して斜めになっているのはそのためである。また、町並みを構成する建物には、戦後スタイルの町家が見られ、モダニズム系の関西流非看板建築が主体となっている。
写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」
福山市新町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里・遊廓として記録された場所です。
数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。
戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。
16点を撮影・記録日順に表示
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