福山市新町遊郭の現地記録写真

広島 / 福山市 新町

福山市新町遊郭

歴史資料・現地写真アーカイブ

福山は、芦田川河口に発達した福山藩の城下町。1619年(元和5年)水野勝成が野上に築城し、福山城(葦陽城:いよう)と称した。1630年(寛永3年)以降、阿部氏11万石の城下として発展した。河口に広い新田を開いて現在の基礎を築いた。近代以降は大規模な製鉄所の立地を契機に臨海工業都市として発展した。 福山の市街地は、駅の北口直ぐにある福山城の城下町を基盤として形成されているが、第二次世界大戦時の戦禍でほぼ全域が焼失しており、城下町の町割りに戦災復興都市計画が重なった形で、現在の町割りができている。戦前は市街地の真ん中に城の濠へとつづいていた運河があったが、戦後の瓦礫によって埋め立てられ、現在の船町ができた。船町商店街と両サイドの町割りが、城下町の町割りに対して斜めになっているのはそのためである。また、町並みを構成する建物には、戦後スタイルの町家が見られ、モダニズム系の関西流非看板建築が主体となっている。

所在地
広島
写真記録
16点
撮影期間
2017-11-03
資料状態
最盛期統計あり / 平成

写真・本文出典: 集落町並みWalker「遊里を歩く」

歴史順の記録

近世-近代

遊里・遊廓としての形成

福山市新町遊郭周辺は、地域の交通、港町、宿場、温泉、都市形成と結びつきながら遊里遊廓として記録された場所です。

最盛期

最盛期の統計

貸座敷 53軒
娼妓数 160人

数値は『全国遊廓案内』だけに限定せず、収集済みの現地記録・歴史資料本文から確認できた最大値を掲載しています。未載の地点は今後、一次資料と照合して補完します。

戦後-現在

街区と建築の変化

戦災、売春防止法全面施行、都市再開発、住宅地化、商業地化によって、多くの地区では旧制度の痕跡が地名、街路、建築意匠として断片的に残っています。

古今写真

16点を撮影・記録日順に表示

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2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料
2017-11-03 原資料

利用上の注意

本ページは公益的な歴史研究・地域史記録として作成しています。現代の性風俗営業の所在地案内、広告、勧誘、予約、紹介、連絡仲介には使用できません。 現地を訪れる場合も、私有地・居住者・営業者・地域住民の安全とプライバシーを尊重してください。

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