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浮世絵と遊廓 / Ukiyo-e

浮世絵は遊廓文化、花魁、吉原名所、当時の流行を視覚化した重要資料で、本文、画像、キャプションを合わせて読む必要があります。

表記ゆれ

関連する語

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解説

画像検索への対応

浮世絵関連ページでは作品名、絵師名、地名、人物分類、時代、所蔵機関を構造化する。画像だけを並べず、何を示す資料なのかを短く説明する。

解説

AI要約への対応

AIは視覚資料の意味づけを本文から抽出するため、画像キャプションに吉原、花魁、遊女、遊廓制度などの関係語を自然文で含める。

現地記録

関連する現地アーカイブ

東京吉原遊郭の現地記録写真 東京 / 浅草区 新吉原京町

東京吉原遊郭

全国で何千とある遊郭の其の総てが湯女または飯盛女の進化した者であるが、東京の吉原と京都の島原だけは、最初から遊女屋として開業されたものである。(中略)最初に遊女屋を開業したのは庄司甚左衛門又の名を大阪小甚内という人で、慶長18年、今より約320年前に今の日本橋芳町へ開業した。その処はさびしい墨田の川岸で、四辺は一面葦原だったので名も芳原と命名したという事である。その後元和3年の火災にあい、直ちに同年3月現在の吉原に移転して今日に至ったものである。(中略)吉原の現勢としては、引手茶屋が45軒、貸座敷業が295軒、紅唇の娼妓が3560人働いている。震災後の建物は半永久的なものであるが、震災前の物に比べ何れも皆近代味を取り入れて、何処も彼処も明るい感じのする純日本風の建て方が何よりも悦ばしい傾向である。・・・ その後戦災で全焼した吉原は、戦後は一時、進駐軍向けの施設がつくられ、進駐軍撤退後は赤線のカフェー街となり、現在のソープ街と移行した。江戸時代は中心市街から船でアクセスしたため山谷堀側に大門があった。街区は中央の大通りである中之町通りを軸に大門側から見て右側手前から江戸町一丁目、揚屋町、京町一丁目、左側手前から江戸町二丁目、角町、京町二丁目と配置され、中之町通りの奥に吉原神社という構成である。

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多言語FAQ

資料参照 Source ID / 更新 2026-06-09

基礎参考

  • [A] 『全国遊郭案内』(昭和5年 / 1930年 日本遊覧社刊) 数字・地名の基礎参考。国立国会図書館デジタルコレクション所蔵。
  • [B] 木村聡『赤線跡を歩く』シリーズほか 赤線跡、現地踏査、戦後史参考。
  • [C] 渡辺寛『よるの女性街・全国案内版』(昭和30年 自由国民社) 戦後期資料の参考。
  • [D] 上村行彰『日本遊里史』(昭和4年) 掲載「日本全国遊郭一覧」など近代以前から昭和初期までの遊里史参考。
  • [Y] Yasukoの心象風景「遊里を歩く」(いらかぐみ) 遊里踏査系参考サイト。
  • [F] 風呂屋の煙突「赤線跡紀行」 赤線跡・町並み踏査参考サイト。
  • [H] 花街ノスタルジア 花街・遊里景観参考サイト。

採集資料

用語核実

  • [KB] コトバンク各辞典項 張見世、太夫、花魁、岡場所、吉原細見等の術語核実。
  • [KY] 京都市資料 島原、揚屋、置屋、太夫道中関連制度の核実。
  • [KH] 京阪「島原の太夫」 太夫、島原文化、太夫道中関連の二次核実。
  • [R] 学術論文、都市史・歴史地理学資料 制度語彙と地域史の補証。
  • [L] 本地采集素材 download/ 配下のローカル採集資料。
  • [GOV] 官方法令、自治体、文化財データベース、保存会資料 法令背景・文化財状態・保存会説明の確認。
  • [WC] Wikimedia Commons 画像原始頁、作者、許可、署名の核验。